
昨年の世界選手権で15位に終わっていたコクレーンは、予選を2位、オリンピック新記録で通過した。決勝では1000mの地点ではトップに立っていたが、1050m地点では3位に後退し、1150m地点では2位に浮上していた。
最終的にはチュニジアのウサマ・メルーリが金メダル、予選を1位通過したオーストラリアの世界記録保有者グラント・ハケットが銀メダル、そしてコクレーンが銅メダルを獲得した。カナダが男子1500m自由形でメダルを獲得するのは、1920年アントワープ大会のジョージ・バーノットの銀メダル以来のことである。
カナダはアテネオリンピックで、1964年以降初めて競泳でメダル0に終わり、コーチのデーブ・ジョンソンは更迭され、代わってピエール・ラフォンテーヌが就任した。カナダ競泳チームは、北京で最低でも1個のメダル獲得を胸に期した。
だが、2007年世界選手権において100m自由形で優勝したブレント・ヘイデンは、予選を3位で通過したものの準決勝で11位と敗退し、メダル獲得を期待された男子800mリレー(ヘイデンを含む)は、5位に終わった。この時点でカナダ競泳チーム最高の記録は、男子200m平泳ぎのマイク・ブラウンの4位であった。
予選を2位で通過したコクレーンは、カナダ競泳チーム最後のチャンスと期待されたが、プレッシャーは特に感じなかったという。コクレーンはインタビューに答えて言った。
「ぼくは、ほかの誰よりも多くのプレッシャーを自分にかけたんだ。ぼくはそれだけ多くのサポートを、チームメイトから受けてきたからね。ぼくたちがカナダ人であることを、今は本当に誇りに思う」。
●ボート女子軽量級ダブルスカルと男子軽量級かじなしフォアで銅メダル
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コック&キャメロン組は、カナダでメダルを期待された重量挙げのクリスティン・ジラール、平泳ぎのマイク・ブラウン、砲丸投げのディラン・アームストロングがいずれも4位と、惜しくもメダルに手が届くことなく敗退していくのを目の当たりにしてきた。そして軽量級ダブルスカルにおいても、3度オリンピックで優勝した強豪ルーマニアと、世界チャンピオンのオーストラリアが予選敗退するのを見たのである。
カナダクルーは、予選第2組ではドイツに競り負けて2位で通過した。準決勝第2組はトップで通過したものの、コックは課題があるのを感じていた。
「最初の2つのレースの後、最後の500mで追いつかれそうになる傾向があるので、最後の500mをがんばり抜くことに決めました」。

だがキャメロンは、カナダの勝利を微塵も疑わなかった。
「私たちのバウボールが、ドイツより先にゴールインするのがはっきり見えました。だからあとは、審判がそれを確認するのを待つだけでした」。
写真上:左からイアン・ブランベル、ジョン・ベア、マイク・ルイス、ライアム・パーソンズ。
写真下:左からメラニー・コック、トレーシー・キャメロン。
●ボート男子エイトがカナダ2個目の金

カナダクルーは8月11日の予選で、中間地点で早くも2位に1艇身差をつけ、最終的に7秒差をつけて圧勝した。決勝でもカナダの勢いは止まらず、最初の500mを驚異的なペースで駆け抜け、2位イギリスを寄せ付けず、世界チャンピオンの実力を見せつけて圧勝した。

「金メダルで表彰されるのは夏だが、それを獲るのは冬だ。ここまで、4年の厳しい冬があった」。
カナダクルーは、ここ2年の間一度も負けなかった。彼らは2007年の世界選手権で優勝し世界チャンピオンに輝いたが、世界チャンピオンは1973年以来、オリンピックで金メダルを獲れないというジンクスがあった。だがカナダクルーは、そのジンクスをも吹き飛ばした。
写真上:国旗を掲げるカナダクルー。右端は舵手のブライアン・プライス。彼は幼児期に白血病を患い、投薬の影響で甲状腺を損傷し背が伸びなかったため、身長は164センチしかないが、それゆえ舵手として理想的な体型となった。
写真下:舵手のブライアン・プライスを投げ飛ばすカナダクルー。