2010年04月30日

独裁者と探偵【アラス】

P1010091.JPG アラスに到着。ここには「ロベスピエールの家」と「ビドック出生地」がある。マクシミリアン・ロベスピエールはアラスの生まれだが、彼の生家がどこなのかは今となっては不明である。ここは彼が、1787年から89年まで暮らした家である。
 アラス大学で法学を修め、弁護士となった彼は1789年、三部会議員となる。このころ彼が「死刑には犯罪抑止力はない」としてその廃止を主張していたのは興味深い。ジャコバン・クラブに出入りして頭角を表し、ジロンド派・ダントン派・エベール派を粛清して実権を握った。
 彼は「徳なき恐怖は忌まわしく、恐怖なき徳は無力である」と称し、公安委員会・保安委員会・革命裁判所などの公安組織を掌握して、反対派を断頭台に送る恐怖政治を断行した。彼のジャコバン派(ロベスピエール派)が革命の急激な進展を求めて、財産の平等・身分特権の廃止を志向したことは後の共産主義のモデルになったと言われている。また議会では議長から見て左側に陣取ったことから「左翼」の語源にもなった。
 だがジャコバン派の独裁と恐怖政治に恐れをなした反対派は、対外戦争が好転し国内危機が一段落するとテルミドールのクーデターによって、ロベスピエール兄弟らジャコバン派首脳を断頭台で処刑した。

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 フランソワ・ビドック出生地は、現在はパン屋になっている。脱走兵として投獄された彼は、獄中で様々な犯罪者と出会い、幾多の犯罪テクニックについて学ぶ。出獄後はそのノウハウを活かしてパリ警察の密偵となり、犯罪者と犯行手口を分類して膨大な書類を作成して、各地の警察に配備するという科学的捜査方法を確立した。
ビドックこそは、世界初の私立探偵と考えられている。世界初の探偵小説「モルグ街の殺人」を書いたエドガー・アラン・ポーが、その舞台をフランスに設定したのは、ビドックの影響だと考えられている。出生地の向かいには「ル・ビドック」という名のレストランがあった。


写真上:ロベスピエールの家。
写真下左:フランソワ・ビドック出生地。
写真下右:ル・ビドック。
posted by 高橋 幸二 at 15:00| Comment(0) | TrackBack(1) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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