気分を変えて、アンネ・フランクハウスに行く。アンネはドイツのフランクフルト・アム・マインに生まれ、ナチスの政権掌握後は一家でアムステルダムへ移住した。しかし第二次世界大戦中オランダもドイツに占領されると、一家は1942年7月、父オットー・フランクの会社があったビルの3・4階と屋根裏で潜伏生活を始めた。
1944年8月4日に隠れ家を発見され、住人全員が強制収容所へ移送される。アンネは姉のマルゴットとともにベルゲン・ベルゼン強制収容所へ送られるが、チフスを患い、1945年3月頃に死亡した。アンネがアムステルダムでの2年間の潜伏生活について綴った日記を、戦後オットーが出版したのが有名な「アンネの日記」である。
アムステルダム駅に向かう途中、噂の「飾り窓」地帯を放浪する。娼婦たちは乳首と陰部だけを隠した、極めて露出度の高い服を着ている。うろついているのは男だけでなく、女もいる。みんなひやかしの観光客だろうか。
ここで一句:
オランダで 飾り窓見る スケーベニンゲン
「オランダ」と「スケーベニンゲン」が係り結びになっています。おあとがよろしいようで。
写真:アンネ・フランクハウス。