2010年05月01日

In Flanders Fields【イープル】

P1010114.JPG イープルの市内は全て石畳で、とてもレトロな外観になっている。この街は第一次大戦で3度にわたる戦いの末、一度は廃墟と化し、その後以前と似た外観に再建されたものである。
 市内の北部に「エセックス・ファーム墓地」がある。そこはかつて、ジョン・マクレーが滞在した駐屯地であり、彼の有名な詩“In Flanders Fields”誕生の地でもある。

 ジョン・マクレーは1872年、オンタリオ州ゲルフに生まれた(生家は現在マクレー・ハウス博物館)。軍人の息子である彼は14歳でゲルフ・ハイランド士官学校に入り、その後トロント大学で医学を修めた。大学時代には最初の詩集を刊行している。
495px-JohnMcCraeportrait.jpg マクレーは医師として勤めるかたわら、余暇には詩を書きスケッチもした。ボーア戦争では砲兵隊に入り、女王のメダルと従軍記章を獲得した。その後はバーモント大学の教授になっている。
 第一次世界大戦では70歳を過ぎた父とともに入隊し、マクレーは軍医としてフランドルの戦地に赴いた。ところが彼の教え子でもあったアレクシス・ヘルマー中尉が、イープルで戦死する。翌日ヘルマーを埋葬した彼は、幾重にも並ぶ白い十字架と、辺りいっぱいに咲き乱れる赤いケシの花を見た。ケシの種は、地に落ちると何年もそのまま眠りにつき、何かの原因で地面が掘り返されると芽を出す。戦場となったフランダースの野原は、兵士たちによって徹底的に踏み荒らされ、掘り返された。それで地に落ちていたケシの種は、いっせいに長い眠りから覚め、真っ赤な花を咲かせたのである。その光景は、兵士たちが戦場で流した血潮のようであった。マクレーはこみ上げる感情のままに、一遍の詩をしたためた。


 In Flanders Fields(フランダースの野に)

0406-01-09-0381.jpgIn Flanders fields the poppies blow
フランダースの野にケシの花がそよぐ
Between the crosses, row on row,
幾重にも並ぶ十字架の間に
That mark our place; and in the sky
僕たちの場所と印された地に
The larks, still bravely singing, fly
ひばりは今も勇敢に飛んで歌う
Scarce heard amid the guns below.
砲音の響く中その声はかき消されても

We are the Dead. Short days ago
僕らは死者、この前まで生きていた
We lived, felt dawn, saw sunset glow,
曙を感じ、夕日が輝くのを見ていた
Loved, and were loved, and now we lie
愛し、そして愛された。だが今はここに眠る
In Flanders fields.
フランダースの野に

Take up our quarrel with the foe:
僕らの戦いを続けてくれ
To you from failing hands we throw
倒れながら君たちに投げ渡す
The torch; be yours to hold it high.
たいまつを君たちの手で高く掲げよ
If ye break faith with us who die
死んだ僕らの信念を裏切るなら、僕らは眠れない
We shall not sleep, though poppies grow
どんなにケシの花が咲き乱れても
In Flanders fields.
フランダースの野に


P1010116.JPG この詩「フランダースの野に」がその年イギリスの雑誌「パンチ」に載るや、大きな反響を呼び、この詩は戦争の悲惨さと平和への祈りを象徴するものとして全世界に広まり、この詩はカナダ人が書いた詩のなかで最も有名なものとなっていった。マクレーは1918年、肺炎で戦病死した。

 終戦の2日前、ジョージア州アーテンズのモイナ・マイケルという一人の女性がこの詩を読み、戦没者を記念しケシの花を身に付けることを始めた。1920年、アメリカを訪れたフランスのグェラン夫人がコロンビア大学でマイケルさんに出会い、戦争の被害に遭った貧しい子供たちのために、終戦記念日前に手作りのケシの花を売るチャリティーを始めた。翌年、イギリスの退役軍人会を創設したアール・ヘイグはグェラン夫人の心意気に感動し、イギリスの退役軍人会が貧民と傷痍軍人のためのチャリティを行うことを許可した。今日、ポピー・キャンペーンは王立カナダ退役軍人会の最も重要なプログラムの一つとなっている。ポピーの売り上げ金は貧困に悩む退役軍人を補助し、また医療器具やリサーチ、ホームサービス、養護施設その他の目的に使われている。


写真上から
・エセックス・ファーム墓地
・ジョン・マクレー
・墓標の間に咲くケシの花
・マクレーが滞在した塹壕
posted by 高橋 幸二 at 08:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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