かつては小さな運河に、木製の橋がかけられていた。今は拡張された運河に、金属製の巨大な吊り橋がかけられている。遠くからでもよく見える橋だが、幅は人が二人すれ違うのがやっとと狭く、風に吹かれるたびにワイヤーがきしんだ音を立てる。この橋は「ジョージ・プライス橋」と命名された。付近には「ジョージ・プライス小学校」もある。この小さな村で、カナダ人ジョージ・プライスを知らぬ者はいない。

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1918年11月、第28大隊はベルギーのモンスを解放し、アーブレに進駐した。町の人々はこの解放軍を歓迎する祝宴を開こうとしたが、真面目一徹のアーサー・グッドマーフィ隊長はこれを固辞し、11月11日朝、いつもより早起きして部隊をさらに東に進めた。彼はそれまでに「できるだけ多くの地域を占領するため、できるだけ速やかに進軍すること」と命じられていたからである。
その日の朝5時、コンピエーニュの汽車の中で、連合国軍とドイツ軍の代表が休戦協定に署名した。そこにはこう記されていた。
「全ての戦闘は、6時間で終了する」。
カナダ軍司令部はこの知らせを6時半に聞き、すぐに4つの師団に下知した。情報はそれから12の旅団に、さらに48の大隊に伝達された。だがそれより下にはおびただしい数の中隊・小隊があり、それぞれ各地で戦っていたから、全ての部隊の位置を正確に知ることは困難であり、即時の情報伝達は難しかった。
第6旅団で最も敵地深く進軍していたのは、第28大隊であった。伝令将校が馬を飛ばし、アーブレに休戦協定締結を知らせに来たのは10時半ころだったが、グッドマーフィ隊長はすでに部隊をサントル運河に進めていた。
グッドマーフィは、部隊をサントル運河の手前で停止させた。そこには対岸に渡るための小さな橋があったが、不思議なことに、この重要な拠点を守っているはずのドイツ軍の姿が見えなかった。だが橋を渡った対岸に、橋を渡る者を牽制するかのような民家が3件あり、よく見ると壁に銃眼のような穴があった。
「変ですね。あの家は何か怪しい。見て来ましょうか。」
そう言ったのは、ジョージ・プライス上等兵だった。恋人から贈られた花の織物を、いつも胸ポケットに入れている男だった。グッドマーフィは、プライスとほか3人を連れて、対岸に偵察に行くことにした。重い武器を持って行きたくなかったので、5人はピストルだけを携行した。
橋をすばやく渡り対岸のビル=シュル=エーヌ村に着くと、プライスは映画のギャングのようにドアを蹴って、最初の民家に押し入った。だがそこには、スティブナール家の住人がいただけだった。ドイツ兵はさっきまで家の2階で見張っていたが、第28大隊の接近を見て、慌てて裏口から脱出したばかりだったのである。プライスは次に、隣のルノワール邸にも押し入ったが、そこにもドイツ兵の姿はなかった。そこでプライスがルノワール邸を出ると、民家の物陰からドイツ兵が橋に向けて機関銃を連射していた。どうやらドイツ軍は少人数でこの地を守っているらしく、第28大隊を渡河させたら殲滅されるため、必死で食い止めているようだった。
プライスはドイツ兵を撃とうと思ったが、躊躇した。敵は自分たちの存在に気づいていないようで、自分たち5人こそ本隊から孤立しており、ここで発砲したら存在を気づかれてしまうと思ったからである。
安全にこの地を離れることが急務だった。プライスは辺りを見回し、ドイツ兵がいないのを確認して路上へ出た。そのときルノワール氏は「戻れ」と声をかけたが、その瞬間銃声が轟いた。

11時。教会の鐘が村じゅうに鳴り響いた。4人のカナダ兵にとって、プライスの遺体を抱えて橋を戻ることは、文字通り命がけだった。だが予想された銃撃はなく、何の危険もなく橋を渡ることができたので、彼らは不思議に思った。
「敵はどうして撃って来ないんだ?」
「さあな。1時間早いランチタイムかな。」
アーブレの街に入ると、大勢の群集が通りで歓声を上げ、抱き合っていた。グッドマーフィは言った。
「何があったんだ?」
「何がって? 戦争は終わったんだよ! 生きてこの時を迎えられて、本当に良かった!」

写真上から
・ジョージ・プライス小学校。
・ジョージ・プライス。
・プライスは、婚約者から贈られた花の織物を、胸ポケットにいつも入れていた。彼の死後、この地に住む女性が、血に染まった花を額縁に入れ保管した。
プライスの甥ジョージ・バークハウスが2014年にこの地を訪問したとき、この地に住む少女が祖母から託された額縁を贈っている。彼女は自分と祖母が何者かを明かさなかったが、人々は彼女をアリス・グロットの孫だろうと噂した。
・プライス記念碑とジョージ・プライス橋。運河は80年代に拡張され、ルノワール邸も今はない(2010年筆者撮影)。
・今はなきルノワール邸に掲げられたプライス記念碑(アリス・グロット撮影)。