
詩人として名を馳せるようになると1870年、マチルドと結婚するが、翌年アルチュール・ランボーから手紙が届く。同封されていた詩を読んだヴェルレーヌは、その才能に驚愕した。すぐに返事を書き、旅費を与えてパリに呼び寄せた。ランボーはまだ16歳の、背の高い美少年だった。ヴェルレーヌは妻に乱暴を繰り返したあげく、家庭を捨ててランボーとの同棲生活に入る。やがて妻は夫に愛想をつかし、ヴェルレーヌの友人たちはランボーの粗暴な振舞に嫌気がさして離れていった。
1873年7月10日、二人はブリュッセルのホテル「ロテル・ア・ラ・ビル・ド・クルトレ」にいた。現在は刺繍屋である。ヴェルレーヌはマチルダとよりを戻そうと考え、さもなくば自殺すると騒いだ。ヴェルレーヌの母親が心配になり、ホテルにやって来た。しかしマチルダの心は動かず、そればかりかランボーはヴェルレーヌと別れ、単身パリへ行くと言い出した。ヴェルレーヌは逆上して、ランボーに向けて拳銃を二発を発射、うち一発がランボーの左手首に命中する。ヴェルレーヌはモンスの刑務所に収監された。
ヴェルレーヌは獄中で詩集「言葉なき恋歌」を出版した。それはランボーとの同棲生活から生まれた詩を収録したものである。獄中で妻から離縁状を突きつけられた彼は1875年、出獄するとランボーのもとを訪れるが、ランボーももちろんよりを戻す意思はなく、二人で格闘した。

1885年、泥酔して母の頸を絞め、再び投獄される。出獄後は無一文となり、ホテル住まいになるが、母が死亡するとホテルを追い出される。その後は娼婦ユージェニー・クランツの情夫となるが、彼女がほかの男と駆け落ちすると、慈善病院を転々とする生活となる。最期は、娼婦に看取られて世を去った。
ヴェルレーヌと別れたランボーは、その後詩作を捨て、中東を放浪しコーヒー商人や武器商人になるが、骨肉腫を患い、フランスに帰国する。右足を切断する手術を受けるが、癌が全身に転移し37歳の若さで世を去った。
写真上:アルチュール・ランボー。
写真中:ロテル・ア・ラ・ビル・クルトレ跡。
写真下:ポール・ヴェルレーヌ。