
彼女はオタワの選挙対策本部で自分の当選を知り、衝撃を受けたという。そして5月6日、当選後初めての取材をトロワ・リビエールの新聞「ル・ヌベリスト」から受けた。取材は英語で行われた。
彼女は、自分は長年の新民主党支持者であり、本来はジュリー・ドメール氏が立候補するはずだったが、ブラサ選挙区で立候補(落選)したため、急遽彼女が第二候補として選ばれたと説明した。そしてベルティエ-マスキノンジュ選挙区で、新民主党は4位より上位に行ったことがなく、当選することは全く予想してなかったので、選挙区には一度も入らなかったと認めた。
「私の立候補は、ただの名義上のもので、それ以上のものではありませんでした。」
4月26日が彼女の誕生日で、かなり前からパブのマネージャーに休暇を申請しラスベガスへ旅行に行く計画を立てていたところ、突如解散・総選挙が公示され、旅行をキャンセルすることができなかったという。
また自分のフランス語は十分ではないが、父はフランコフォン(姓がフランス系)で、彼女自身も2年生までケベックの小学校に通ったと語った。
「オレンジ旋風」はまた、史上最年少19歳の下院議員ピエール=リュク・デュソールを当選させた。彼は興奮してラジオのインタビューで「ケベック独立は必然的なものだ」と口走り、党幹部を慌てさせた。
「長老議員たちは、新人議員たちを教育する必要がありそうだ」という指摘に対し、レイトン党首は「我々は若者たちをアフガニスタンに送っている。なぜ議会に送ってはいけないのか」と語り、新人議員たちを擁護した。