これにより夏季五輪では、レスリー・トンプソン=ウィリー(5大会のボートで金1・銀3・銅1)とフィル・エドワーズ(3大会の陸上で銅5)の通算5個を抜き、カナダ史上単独1位となった。冬季五輪を含めても、シンディ・クラッセン(冬季2大会のスピードスケートで金1・銀2・銅3)とクララ・ヒューズ(夏季1大会の自転車で銅2・冬季3大会のスピードスケートで金1・銀1・銅2)の通算6個に並び、史上1位である。彼女は今大会で、100メートル自由形・400メートルメドレーリレー・800メートル自由形リレーの3種目を残している。
彼女は競技の数分前、控え室で自分に言い聞かせていた。
「ペニー、たとえビリでも、大したことじゃないのよ。あなたには、メダルを獲れる種目がまだ3つある。」
だが終わってみれば、自己ベストを更新していた。
「私は、オリンピックが好きなんです。世界を知ることは、それがすごくクレイジーだと知ることです。」
「リオでは、メダルを獲るたびに『ラッキーでした、ラッキーでした』と言っていました。でも今は、トレーニングは裏切らないと思っています。」
「私はまだやりきったと思わないし、これからまだあると望んでいます。」
【参照】 カナダの冬季オリンピック名シーントップ10
https://canadian-history.seesaa.net/article/2009-03-11.html
オレクシアクは池江璃花子と同い年で、自由形とバタフライを専門とし、リレーを含め多種目をこなすという共通点がある。ジュニア時代は池江の方がリードしていたが、オレクシアクはリオデジャネイロ五輪でメダル4個を獲得し、時代の寵児となる。
池江は7種目に出場したにもかかわらず、メダルなしに終わった。さらに白血病のためキャリアの中断を余儀なくされ、大きく差を付けられた。彼女の発病を知ると、オレクシアクはインスタグラムに「ずっとあなたのために祈っています」というメッセージを投稿した。
だが池江は病を克服し、東京五輪の舞台に戻って来た。次は、混合400メートルメドレーリレーに出場する。